その人の心や精神が不安定になるということほど、他人にとってわかりづらいものは無いかもしれません。
一つの理由としては、心や精神というものが実体をもたないせいではないでしょうか。
もちろん、脳という実体に心が宿っているのは確かでしょう。そして、その脳という臓器の機能測定によって、ある程度、心理への理解へと近づくこともあります。
しかし、仮に脳機能を正確に把握できたとしても、それでその人の心や精神が分かったとは言えないでしょう。
例えば、異なる人たちに、それぞれ同じような脳機能上の問題があると認めたとしても、その人の症状や抱えている悩みは、やはり各々異なることがあります。
また、どんなに検査をしたところで、その症状を説明できるような異常が全く見出だせない人もたくさんいます。
心や精神を病むことは脳を病むことと重複することがあっても、決して同義ではありません。
すなわち、心は多様性をもっているのであり、だからこそ心を病む人への一律的な対応はありえず個別的な対応が必要となるのです。
「個人差が非常に大きい、そして単純に機能の問題へと還元できない。」
そうした心や精神の特質がその問題を複雑にしている一番の要因ではないでしょうか。
そして、そうした理解の難しさは我々、精神を扱う専門家にとっても同じです。
そこで、精神や心の状態をより分かりやすいものにしたいという思いから、DSM、ICDといった操作的診断マニュアルというものが作られました。
これは、心や精神の悩みを抱える人の症状やその期間といった目に見えるものを参考にして、マニュアル通りに従うことでその人の診断を自動的に導き出すことができる、誰にでも理解しやすい形にまとめあげた規則です。
一定の基準さえみたせば、たとえばうつ病といった診断を導き出せるといった具合であり、そうしたマニュアル化された共通言語を使うことで、治療者がその人を目の前にして診断に悩んだり、診断について他者との情報共有に困ったりするといった困難を最小限に抑えることができるようになりました。
確かに、心や精神が複雑で多様性があるとはいっても、それをある程度のカテゴリーにパターン化することは可能でしょう。
しかし、こうした診断のパターン化は、その人の訴えがどのカテゴリーに分類できるのかという治療者のパターン化した思考をもたらし、全体を見渡しその人の問題の本質がどこにあるのか見極めようという姿勢を削ぐことにつながったのではないでしょうか。
それは治療にもすぐに反映され、うつだから抗うつ薬が有効であるといった治療のマニュアル化を同時にもたらしました。
しかし、先ほども述べたように、精神の悩みとは非常に個別的なもので一律の対応はあり得ません。
うつといっても、そこには多種多様な要因による病態を集めた症候群のようなものあって、その原因ごとへの対応が必要となります。
(もちろん、抗うつ薬が絶対に必要な人もおり、それを否定する意味ではありません。ただし、すべての感染に抗生剤が効くわけではないように、全てのうつに抗うつ薬が効くというわけでもありません。)
それが、身体の問題なのか、脳の問題なのか、心理的な悩みからきたものかを見定める目が必要になるということです。
そして、完璧な診断は困難であるとしても、医師として、マニュアルのみに頼るのではなく、患者様の悩みの本質に迫ろうとする努力をし続けていくべきであると私は思います。